晴耕雨読。読んで字の通り、晴れの日には畑を耕し、雨の日には読書をするという慣用句だ。たしかに雨の日なら、できれば外に出ないで楽しみたいと思うのは一般的なことだと思う。
しかし時代はもう江戸ではなく、空模様で通勤が無くなることは滅多にない。傘の下で鬱屈とした足取りになる人も多いのではないだろうか。
今回開催した「西荻窪さんぽ」は偶然にも、灰色の雲とアスファルトに挟まれる、そんなモノトーンな時間になりがちな雨の日の「歩き」を見つめるものとなった。
2020年12月5日、東京都の杉並区にある西荻窪駅。冬入り直後で雨天にも関わらず、10名の参加者が集まってくれた。足が重くなる条件が揃っていても、コロナ禍においてオフラインの交流を求める気持ちが強いのかもしれないし、あるっこの代表のようにただの散歩バカかもしれないが、この場を借りて改めてお礼を言いたい。来てくださりありがとうございました。
今回の散歩はアナログ散歩。参加者が見つけた「キュン」を地図に書き込んでいくというものだ。それにしてもキュンとは大雑把な概念で、もしかしたら戸惑った方もいたかもしれない。僕もその1人だ。要するに、自分が魅力に感じたものを書き込んでいこうということだ。
密回避も視野に入れ、グループに分かれて散歩をスタートした。各グループに渡された白地図がそれぞれのペースで埋まっていく。
商店街から歩き始めると、そこには"おしゃれとろ"な街並みが続いていた。目を引く看板からは個性豊かな文字や絵が顔を出し、細めのアーケードはどこか温かい空気を生んでいた。屋根がなくなると参加者は頭上に花を咲かす。好む色が似ていたのか、あまりカラフルではなかったけれど、雨の日を彩る筆頭は傘で間違いないだろう。
中盤では不思議なお地蔵さんが目立った。相撲をとったり縁を結んでくれたりするその姿は、雨の中でもどっしりと威厳に満ちていた。もしそこに晴れを呼ぶ童子がいたなら、長く停まって願っただろう。
今回はそうもいかず、僕達はそれを写真に収めるとまた歩き始めた。少しだけ振り返ると、耳慣れしていたはずの雨音が妙な哀愁を帯びていた。
いつもより水増しされているであろう小川に沿って行くと、ついにゴールを捉えた。
善福寺公園。そこに待っていたのは、散り際の秋。湿り気さえなければ蹴り上げたくなるような落ち葉の絨毯に、黒い肌が丸見えの寂しそうな木々。いくつかはまだ葉っぱのコートを着ているが、風に脱がされるのも時間の問題だろう。しかしそんな景色でさえ、疲れた心を癒すのには十分だった。
それぞれが公園内でシャッターを切った後、完成した地図と見つけたキュンの発表にうつる。綺麗だったもの、おもしろかったもの、どれに対しても発表する毎に「あ〜あれね!」と共感を得られることはとても気持ちがいい。生憎の天気だったが、ケガ人も無く笑顔で終えられたことは間違いなく参加者の力であり、頭が上がらない。是非とも次は、晴れの日に散歩をしたいものだ。
さて、雨の日の「歩き」を体験した上で、実感したことがある。それはコミュニケーションの難しさだ。ここからは僕達の反省点でもあるが、それぞれが散歩を楽しむ際にも参考にしていただけたらと思って書くことにする。
先程、雨の日を彩るのは傘だと言ったが、傘には「距離を広げる」「視界を狭める」「音を遮る」という効果もあるのだ。雨ならではの発見に、傘や長靴のお洒落を楽しむこともできる悪天候だが、その日はお散歩コースを短めにして、雨宿りを楽しむ散歩にシフトチェンジするのもいいかもしれない。
…雨宿り散歩?おっと、また妙な散歩のアイデアが浮かぶ予感だ。
文章:倉持駿太朗
写真・地図:西荻窪さんぽ参加者
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